発酵に関わる食文化や
商品開発、普及、研究を進める
発酵のプロにインタビュー。

千葉県の神崎(こうざき)町役場で公務員として働いていた澤田聡美さん。とある本をきっかけにいつしか発酵の魅力に惹き込まれ、神崎町を「発酵の里こうざき」として盛り上げた立役者のひとりである。愉快な町娘に扮し、「お里さん」のニックネームで親しまれる澤田さんの意外な生い立ちや、発酵をテーマとしたまちづくりの実践、これからの活動などについて、話を伺った。
千葉県北東部にある神崎町は、すぐ傍を利根川がゆったりと流れ、江戸時代には水運で栄えた町である。肥沃な土壌にも恵まれ、昔から酒・味噌・醤油の醸造が盛んだった。今では「発酵の里」として広く知られる町である。
毎年3月に行われる「酒蔵まつり」には、地元にある2軒の酒蔵を中心に、発酵にまつわる飲食店などが200店以上立ち並び、7万人が訪れるという盛大なお祭りだ。また2021年から毎年5月には「神崎発酵マラソン」を開催し、こちらも申し込みが殺到するほど人気が高まっている。しかし、かつてこの町は人が来なくて何もない、財政難の危機的状況だったという。その神崎町を発酵で盛り上げようと尽力してきたひとりが澤田聡美さんである。

自身のことは公務員ではなく、発酵で夢を広げる「酵夢員」と呼んでいる
澤田さんは神崎生まれの神崎育ち。子どもの頃から地元への愛が深く、今も変わらずずっと続いているという。小さい頃の夢は「神崎で働いて、神崎の人と結婚して、神崎で死ぬ」だったらしい。将来は保母さん(保育士)になりたくて短大の保育科へ進んだが、両親は共に真面目で厳しく、公務員になることを促された。
澤田さんも親の言う通りにすることが当たり前だと思っていたそうだ。神崎町の公務員試験に見事合格すると、偶然にも保育所の配属になった。両親の願いと澤田さんの夢が同時に叶ってしまったのだ。その後14年、天職とも思える保育所で、上司にも恵まれ、楽しく居心地よく仕事をしていた。ずっとここで働きたいと思っていた。
澤田さんが発酵に目覚めたのは、神崎町の酒蔵〈寺田本家〉の23代目当主だった寺田啓佐さんの著書「発酵道: 酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方」を読んだことに始まる。

著者であり寺田本家の当時の当主、寺田啓佐さんの直筆のサイン入りの「発酵道」の本(写真提供:澤田聡美)
「寺田さんは、微生物の世界は人間の世界と似ている。けれど人間のように争わず、共生して自身の役割を全うし、命をスムーズに潔くバトンタッチする。そういう自然と調和した微生物の営みの神秘を知ったとき、大きな衝撃を受け、発酵に取り憑かれてしまいました。今でも読むとハッとさせられ、新たな気づきをもらえます。いいことがあったときも、落ち込んだときもページを開く、私のバイブルです」
日本酒は前から好きだったそうだが、それ以来全国の蔵元を訪問し、造りの現場を体感するようになった。
2009年、澤田さんは突然、今までまったく関わったこともなかった、まちづくり課へ異動になる。長年働いて大好きな職場だった保育所を離れることになり、澤田さんは異動が嫌で嫌で、内定が出てからの一週間で4キロ痩せるほどだったという。しかし澤田さんはその後17年もまちづくり課に在籍し、活躍することになる。
「まちづくり課がどこにあるのかも知らなかったくらい。しかもその当時、神崎は町そのものが財政難で役場に新人は入って来ない。新規事業もできない。暗い気持ちのなか、手探りで始めたのが酒蔵まつりでした。何も見えない真っ暗ななか、一筋の光が差し込んだように感じました」
神崎町には、〈寺田本家〉と〈鍋店(なべだな)〉というふたつの酒蔵がある。今まではそれぞれの酒蔵で別々に蔵開きを開催していたが、2009年に初めて、町主催で同日開催することになった。5000人くらい来るかな?目標は1万人と考えていたところ、実際には驚くことに2万人以上の来場者があった。

「こうざき酒蔵まつり2026」にはなんと7万人が来場した
“発酵”はこれからの時代のキーワードになるかもしれない、とそのとき大きな手応えを感じた。無農薬栽培や自然酒、発酵食品などが見直され、じわじわと世の中に浸透してきた時期でもあった。2013年には和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、日本独自の伝統的な発酵食文化も注目された。そこで神崎町に建設が計画されていた道の駅も、発酵をテーマに進めることになった。

道の駅「発酵の里こうざき」は2015年4月にオープン。澤田さんも積極的に道の駅に関わり、オープン前は徹夜で明け方まで商品の陳列を手伝った
「仕事として道の駅に携わってはいたけれど、店の手伝いなどはまったくの業務外。でも寝なくてもいいくらい楽しくて楽しくて。発酵のおかげで変なアドレナリンが出ていたかもしれませんね。オープン後も町娘の格好で勝手に毎週末は店頭に立ち、発酵や商品のことを説明していました。最初はまた変な人が来てるって思われていたかもしれないんですけど、だんだんみんな慣れてきて(笑)」
道の駅内にある発酵専門店〈発酵市場〉は、その品揃えの豊富さに驚く。神崎町オリジナル商品はもちろん、全国からセレクトしたこだわりの品々が並んでいる。特に調味料の種類が多く、発酵好き、料理好きなら眺めているだけで楽しいだろう。道の駅にはほかに、糀をテーマにした〈レストランオリゼ〉や〈はっこう茶房〉などもある。

改装工事前の〈発酵市場〉の様子。現在は圏央道神崎パーキングエリアの整備と併せて改修工事中で、令和8年度中に完成予定
澤田さんは発酵のイベントに関わるとき、「お里さん」というニックネームを付けた、町娘のようなキャラクターに変身する。絣の着物に赤い手拭いを被ったコスプレ姿は、もうみんなにお馴染みのようで、道ゆく人からも親しげに声が掛かる。
お里さんが生まれたのは、神崎町のPRマスコットキャラクター「なんじゃもん」がきっかけだった。なんじゃもんは、その昔、水戸光圀公が神崎神社を参拝したときに大きな楠木を見つけて「この木はなんというもんじゃろうか」と問われ、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになった、というエピソードに由来する。澤田さんはこのゆるキャラの担当だった。
なんじゃもんのPRのために、水戸光圀公のお膝元である茨城県のマスコットキャラクター「ハッスル黄門」のいる茨城県庁へ挨拶に行こうと考えた。黄門様にお会いするなら、自分も町娘に扮して行ったら喜んでくれるに違いない……、と思い付いたのだ。町娘のいでたちをした澤田さんの姿を見た同行の上司は呆れて反対したそうだが、結果的には先方にとても喜ばれ、PRは大成功。以来、澤田さんはどこに行くのも誰に会うのも「お里で行く」と決めた。

「昔から楽しいことを考えて友達を驚かせたりしていましたし、保育所でも子どもたちがどうしたら楽しんでくれるか、サプライズや人に喜んでもらえることを考えるのは大好きなんです」(澤田さん)
誰かに喜んでもらいたい、という思いがいつも澤田さんの根本にはある。発酵とは、常に良い方へ変化し続けていくことだと澤田さんは言う。
「誰かのお役に立てるようワクワク行動すると、アイデアがぷくぷく生まれて良い方に変化していく……。それが人間の発酵なんです」
2021年から開催している「神崎発酵マラソン」でも、澤田さんはアイデアを発揮した。初回はコロナ禍で飲食の対応が難しかったが、何か発酵にまつわることがしたいと考え、参加ランナーには藍染めのTシャツを参加賞としたのだ(藍染めは植物染めのなかでも唯一、発酵の過程を経ている)。
澤田さんを中心に町役場の職員たちが、年度末の忙しい合間をぬって、毎日一枚一枚手づくりで染めた。と言っても最初は誰も染め方が分からず手探り状態で、1日10枚前後しか染められなかったそうだ。やがてだんだん町の人たちも手伝ってくれるようになり、今はボランティアの皆さんと1日400枚、3か月かけてランナー分2500枚染めている。マラソンに参加すれば世界にひとつしかない、手づくりのTシャツがもらえるなんて、なんともスペシャルな企画である。

ひとつとして同じ柄のものがないオリジナルの藍染めTシャツをランナーにプレゼント(写真提供:澤田聡美)
さらにエイドステーションでは酒づくりに使う仕込水を出し、冷や汁やいぶりがっこも振る舞う。全国の醸造蔵や発酵にまつわる店が数多く出店し、醤油糀づくりや藍染め、糠漬けなどのワークショップも行う。
「おかげでランナーでも応援でもない、マラソンとまったく関係ない人も、発酵目当てで来てくれるんですよ」と澤田さんは笑う。
2025年に行われた大阪・関西万博では、「発酵県ちば」として8月下旬の4日間、万博会場内の「EXPOメッセ」に出展した。来場者に発酵食品を体感してほしいと考え、味噌や糀を食べ比べてもらった。煎餅に白味噌や発芽玄米味噌など神崎の自慢の味噌5種をのせ、3500枚を試食してもらった。その中から自分の好きな味噌を選んでもらってオリジナルの冷や汁にして提供。尋常じゃない暑さのなか、塩分補給に大変喜ばれたそうだ。
また、小さな袋に酒蔵と味噌蔵の糀をそれぞれ入れ、両蔵の違いを食べ比べてもらった。チーム神崎の団結力により5000個を用意し配ったそうだ。準備には細かな作業が多く、ひたすら黙々とつくっては配る日々だったそうだが、熱量高く手の込んだ体験展示は人気を呼び、神崎町ブースは常に行列だったという。

「過酷だったけれど濃密な時間を過ごさせてもらい、貴重な経験でした。万博ロスになったくらいです」と澤田さんはまた笑いながら話してくれた(写真提供:澤田聡美)
澤田さんの発酵に関する活動はそのほかにも幅広く、手前味噌や豆板醤づくりなどの発酵体験「ぷくぷく講座」の開催や、まちづくりに関する講演などで今や全国を飛び回っている。もはや公務員の枠を超え、まさに「酵夢員」だ。未来のために子どもたちに向けた教室も行っており、味噌づくりや藍染め、梅干しづくりなどを通して、日本の発酵文化や手仕事の良さを伝えている。

全国各地から発酵をテーマにしたワークショップの開催希望で引っ張りだこ(写真提供:澤田聡美)
人を喜ばせることが大好きで、やるとなったら効率よりもおもしろさ重視。面倒なことにもどんどん手足を使い、周りを巻き込んで動く澤田さんの情熱は伝播し、神崎愛、発酵愛は大きく広がっていった。
「財政危機だった人口約5600人の小さな町が、うちは発酵の里だって、みんなが自分の町を誇りに思えるようになりました。私たちの気持ちが変わったことが一番大きいと思います」

「今では町の人みんなが自信を持って“発酵の里”を名乗れるようになりました」(写真提供:澤田聡美)
澤田さんはこれから新たな活動を開始する。2026年3月で神崎町役場を離れ、発酵に特化した会社「株式会社お里」を起ち上げた。神崎町の発酵事業には引き続き関わりつつ、全国各地、世界の発酵にも携わりたいと思っている。そして澤田さんが力を入れたいことのひとつは藍染めの工房である。

神崎発酵マラソンに向けた藍染め修行が、澤田さんの今後につながっていくことに……(写真提供:澤田聡美)
「実は私の母方のおばあちゃん家は昔、母が小学生の頃まで藍屋を営んでいました。当時は甕が20〜30くらいあって、そこで糸を染めて。7台あった大きな機織り機で布を織っていました。その藍染めをまた神崎の地で復活させたいと思っています」
父方のおばあちゃんも、なんでも自分でつくってしまう人だった。畑でいろいろな野菜を育て、大根を干してたくあんにしたり、小豆をあんこにしてお饅頭をつくったり。澤田さんは無意識に手仕事の良さを感じて育ったという。そんな二人の祖母と澤田さんが発酵でつながっていくことも不思議な運命を感じさせる。
澤田さんが伝えたいのは、食の大切さ、地域とのつながり、そして発酵のすばらしさ。人間も微生物と同じように互いに力を合わせれば、きっと良い発酵ができるということ。公務員は辞めても、酵夢員としての活動はますます大きく広がって行きそうだ。澤田さんの新たな門出はプクプクと元気に醸され始めている。
