発酵インタビュー

発酵に関わる食文化や
商品開発、普及、研究を進める
発酵のプロにインタビュー。

湯浅醤油の新古敏朗が、
醤油発祥の地から伝統文化を発信し、
世界一の醤油づくりに奮闘する

posted:2021.2.5

和歌山県有田郡湯浅町は醤油発祥の地である。歴史を辿ると鎌倉時代の禅僧が宋に渡り、径山寺(現在の中国浙江省にある径山興聖萬壽禅寺)などで修行の傍ら、そこでつくられる味噌の製法を習得。建長6(1254)年に帰国するとその製法を伝授し、この地で盛んにつくられるようになったという。それは今日の「金山寺味噌」の元祖となった。

金山寺味噌とは夏野菜を漬けてつくる“舐め味噌”で、その工程では野菜の水分が染み出して桶に溜まるのだが、当時の湯浅の人々がその液体を試しに舐めてみると、芳醇な香りと旨みで、えも言われぬおいしさだったという。この汁で野菜や魚を食べたらきっとおいしいはず、と気づいた彼らはつくり方の工夫を重ね、現在の醤油ができあがったそうだ。

子どもの頃から麹好き。
家業を手伝うのは当たり前だった

新古敏朗(しんことしお)さんは、明治14(1881)年から続く、金山寺味噌や醤油、味噌を製造していた〈丸新本家〉の5代目として湯浅町に生まれた。物心ついた時には、麹と戯れていたという。
「麹は甘くておいしかったので、子どもの頃からむしゃむしゃ食べていました。蒸した米や豆も好きで、親が作業しているところにすり寄っていた記憶があります。自分にとって蔵は絶好の遊び場でした」

小学生の頃には、当たり前のように麹のカビつけ作業を手伝っていたそうで、理論を知る前に体で体得し、麹の良し悪しも経験的に理解していた。新古さんはおじいちゃん子で、祖父に遊んでもらいながら「お前はここの跡取りだ」といつもおだてられていたそうで、家を継ぐことは自然と受け入れていたという。

家業のために大阪の専門学校へ行き、生化学を学んだ。微生物学の基礎や、発酵・醸造の知識を詰め込んだ。

「実家での製造は、それまで理論がなかったんですよ。まさに勘と経験の世界。代々の言い伝えでつくっていたんです。僕は実験が好きだったので、学校の授業は楽しかったですね。この頃から自分で様々な実験をしては試していました」

そんな折、新古さんのその後の運命を決める出来事が起こる。新古さんは大阪へ出て初めて友だちから、湯浅町が“醤油発祥の地”だということを知らされたのだ。今まで親も学校も、湯浅の人からその話を聞いたことはなく、ショックを受けた。それ以降、土地の歴史文化を伝えていくことは、自分の使命だと思うようになったという。

醤油蔵をオープン!
湯浅町を醤油の街として広く世界に発信

20歳で実家に戻り、丸新本家ではたらき始めた新古さん。会社では金山寺味噌が主流商品で、もう醤油は長くつくっていなかった。店は南紀白浜への通り道にあったため、観光客が立ち寄ってくれることも多かったが、高速道路ができると客は激減した。また観光客のなかには、湯浅町が醤油で有名だと知る人もいて、醸造の現場を見たいという声を多く聞いた。地域を盛り上げ、醤油文化をきちんと継承・発信したい、と考えた新古さんが実行したのは、醤油をつくる新しい会社を設立することだった。

「折しもバブル崩壊の時期。また醤油醸造業は衰退の一途を辿っていて、廃業する方が多かったですから、これから新しくつくるなんて、頭がおかしいと思われましたね」

家族とは大ゲンカだったそうだが、周囲の強い反対にも負けず、2002年に〈湯浅醤油〉が誕生。日本で一番新しい醤油蔵になった。やるなら本物を目指そうと腹を決めて原点回帰し、醤油の原料やつくり方には徹底的にこだわった。

中国で1500年前に書かれた世界最古の料理書「斉民要術」を紐解くと、黒豆を使った醤の製法があり、それをヒントに湯浅の伝統的製法を融合させ、どこにもないような醤油を開発した。中国で珍重される黒豆は日本でも縁起の良い食材。丹波篠山の農家から高品質な黒豆を仕入れ、大きな杉の木桶で2年近く熟成させた天然醸造の「生一本黒豆醤油」が完成した。旨み成分の量を表す全窒素分が約2.4%もある(一般的な醤油は1.6%)、今までにない深い味わいの醤油だ。

「黒豆って、ちゃんとつくるとものすごくおいしい醤油になるんです。開発にはもう、本当に苦労しました。この醤油の素晴らしさは、風味はしっかりしているのに出しゃばらなくて上品なところ。食材をほんまに良く引き立ててくれる醤油だと思います」

醤油は評判が高まり、多くの料理人に愛用され、ミシェランの星つきシェフにも使われている。行列のできるラーメン店が隠し味にしていることもあるそうだ。海外のシェフにも注目されるようになった。

新古さんは、湯浅町を醤油の街で盛り上げる立役者としても活動した。自社の醤油蔵をオープンにして、実際の醸造の様子を一般の人が誰でも見学できるようにした。

「うちは伝統的な製法の天然醸造で、醤油には小麦と大豆と食塩しか使っていない。なんもやましいことはありません。つくる現場を堂々と見せることは、ものづくりをする会社として強い説得力があると思いました。地域の文化を伝えることでもあり、食育でもあります」

蔵見学はどんどん人気が高まり、いつしか観光バスも停まるようになった。海外からわざわざ来る人も多く、外国人観光客が増えた。醤油づくりを体験したいという要望に応えて、醤油を混ぜる櫂入れができるようなコーナーをつくり、インバウンド向けに多言語対応も整えた。醤油が町おこしのきっかけになり、やがて文化庁の日本遺産として、湯浅町が伝統的建物保存地区に認定された。地域全体が醤油の街として力を入れ、誇りに思うようになっていったのである。

新古さんは同時に子どもたちへの食育として、地元の小学校で湯浅の醤油文化を教える授業をしていた。すると、子どもたちから実際に醤油をつくってみたいと言われた。そこで編み出したのが「ペットボトル醤油づくり」教室だ。ペットボトルなら、子どもたちでも簡単につくれ、手入れし、観察することができる。今では湯浅町の小学校の授業に必須で組み込まれ、子どもたちも醤油づくりを楽しみにしているという。子どもばかりか大人でもつくりたいという声が多くなり、この「ペットボトル醤油」を応用して、蔵でも教室を開くようになった。商品開発時の試作品をつくるときにも、ペットボトル醤油のノウハウが大いに役立っているそうだ。

昆虫醤油にカカオ醬、フランスで醸造?!
人の縁から、次々と新しいチャレンジへ

湯浅醤油のチャレンジはまだまだたくさんあり、ここに全てを書ききれないほど。例えば自然栽培農家との出会いから始まり、職人の手仕事を極めた〈魯山人醤油〉。自然栽培で大豆・小麦をつくることから始め、昔ながらの木桶で熟成させた逸品は、従来の醤油とは一線を画す型破りな最高峰の醤油である。総合芸術家・北大路魯山人もきっと納得するであろう味に仕上がった。

一方でイナゴ、カイコ、マグロの内臓など、未利用資源を活用した醤油をつくったこともある。昆虫醤油がきっかけで、世界一といわれたデンマークのレストラン〈Noma(ノーマ)〉と繋がるという出来事も。つい最近では、フランスのチョコレート会社、ベトナムのカカオ農家と一緒につくった全く新しい調味料〈カカオ醬〉が2021年1月に発売され、話題になっている。そしてフランスといえば、海外進出をきっかけに、2018年よりボルドーで醤油づくりも始まっている。

「欧州のレストランでもうちの醤油を使ってもらっているんですが、日本から輸出すると関税や輸送費などで3倍くらいの値段になってしまうんですね。それなら現地でつくってみようかと」

ワインで有名なボルドーには7000軒以上の醸造蔵があり、その発酵技術が応用できるはずだと考えた。日本から麹菌だけ運び、有機認証を取得した現地の麦と大豆、そして伝統製法でつくられたブルターニュ・ゲラントの塩で醤油醸造を開始した。仕込むのはなんとワイン樽だ。

「実際に有名シャトーでワイン醸造していた中古の樽を使ったので、その影響なのか、試作した醤油はきれいな赤い色になって、ええ感じでした。近くにあった牡蠣の屋台に持って行って、その醤油をかけて牡蠣売りの地元の人にも食べてもらったんですけど、なんだこれは!とびっくりされて。おいしいから売ってくれって言われましたよ。メイドインフランスの醤油だって言ったらすごく喜んでくれて」

現在はコロナ禍で現地へ行けていないのがもどかしいとのことだが、醤油は今も静かに熟成されている。いずれは同地に醤油蔵レストランを開きたい、と新古さんは楽しそうに語ってくれた。

発酵へのマインドは世界共通。
醤油が面白いところへ連れて行ってくれる

現在も常に進行形で様々な挑戦を続けている新古さん。湯浅町の伝統を大切にしながらも型にはまることなく、話を聞くほどに周りをワクワクさせるエネルギーがある。

「仕事と遊びの境目がないですね。自分で意識的にそういう風にしたんですけど。醤油は江戸時代には開発が終わって完成されて、そこからあまり進化していなかった。それを続けていくことも大事なんですけど、でも食べ物は進化しているんです。昔より今の方が絶対においしい。魯山人醤油をつくった時、もうこれ以上はないって思っていたんですが、それは間違いだったとある時気づいたんです。赤坂にある燻製料理の店の料理人が、魯山人醤油で燻製の醤油をつくってくれて、その味見をした時、ハンマーで殴られたような衝撃がありました。こんなすごい味になるのかと。まだ上には上があった。だから今も、絶対にこれで満足したらあかんわって思ってて。もっと上に行ける、もっとおいしくせなあかんと常に思っています」

決して歴史と伝統にあぐらをかくことなく、いつでも最高の本物、世界一の醤油づくりを目指すことが新古さんの情熱の根本にある。

世界各地を巡って様々な発酵の現場を見る機会が増え、新古さんが感じたことは「どこもおんなじやん」ということだった。ワイン、チーズ、魚醤など世界には多様な発酵食品があり、地球の裏側でも誰かがせっせと発酵に携わっている。もちろんそれぞれメカニズムは違うけれど、意思疎通して共感できる部分も多く、そういう“発酵人”と繋がることが面白いという。

「発酵に関わってる人は、本当に(いい意味で)変な人が多いんですよ(笑)。発酵の魅力に取り憑かれている人って、思考回路もちょっと違ってて、意外な発想を持っていたり、そんな視点で考えていたの?と不意を突かれたりして、こっちも勉強させられます。例えばオランダで醤油をつくっている人がいるんですけど、彼らは発酵をアートと捉えていて、商品の売り方も独特なんです。ネオン管みたいな不思議に光る麹室をつくっちゃったり。日本人には絶対ない考え方で、刺激を受けます」

新古さんにとって醤油とは?と聞いてみると「生きていくためのツールで、鞄みたいなもの」という答えが返ってきた。

「持ち歩いていると、外からなんか色々入ってくる。僕まあ、“変態磁石”って言われてるんですけど。醤油のおかげでいろんな人と繋げてもらってるなあと思っていて。ほんまにすごいありがたいですよ。どれも人のご縁がきっかけで、思いがけない方向へ行くんです。それで新たなステップに行ける。基本的におもろそうと思ったら、やる。普通なら無理や、と思うことをやりたいと思ってしまうんですよ」

飄々とした自然体で、誰とも分け隔てなく関わり、明るく屈託のない新古さん。その姿が多くの人を惹きつけてしまうようだ。

ここ近年、新古さんは金山寺味噌についての論文をまとめている。実は金山寺味噌は体に良い、ということが最近の研究結果として分かってきたのだという。大学と共同して様々な実験を行っている。

「発酵食品は体にいいとか、免疫力がアップするとか、一般的に言われてはいるけれど、何がいいのかまだ具体的に突き詰められていない。ちゃんとデータを取って、研究の成果を示したい」

健康という切り口は、新古さんにとって、今まで関わってこなかった新しい分野。チャレンジに終わりはなく、新古さんの躍進は今後もまだまだ続きそうだ。

湯浅醤油
新古敏朗(しんことしお)さん
丸新本家株式会社の五代目当主、代表取締役。湯浅醤油有限会社代表。醤油発祥の地、和歌山県湯浅町に生まれ、2002年に湯浅醤油を創業。世界一の醤油を目指して飽くなきチャレンジを続ける。

湯浅醤油
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