わたしたちの身近にある発酵食材。
常備している人が多いものの、
その食べ方のレパートリーは意外と少ないかもしれない。
そこで世界の料理に精通する森枝幹シェフが、
アレンジレシピを考案。
自宅の台所から、世界の食卓へ出かけてみよう。
今回のお題は「へしこ」。
へしこの発酵ペーストがシンプルな料理に
濃厚な旨みと香りをプラスする!
日本酒と一緒につまみはじめたらやめられない「へしこ」。個性的な味わいゆえに料理に合わせるのは難しいのかと思いきや、インドネシアを旅した森枝さんが発想したのは「ナシゴレン」とのコラボ。カラフルな異国のごはんにへしこの発酵パワーをプラスしたら、新境地の一皿が誕生! 淡く色づくライスの丘に、インドネシアの太陽のような目玉焼きとみずみずしい野菜を添えて。パワフルでエキゾチックな食の旅をはじめよう。
冬、雪にうもれる福井県。若狭・丹後半島の郷土の味「へしこ」は、魚のぬか漬けだ。いわば“和製アンチョビ”といえる。冬の日本海は荒れやすく、漁に出られない時期が続く。そこで、福井県では魚の腐敗を防ぎ、長期的に保存するための知恵が数多く生み出された。へしこもその一つで、江戸時代中期にはすでにあったらしい。
つくるのは、秋から冬にかけての寒い時期。脂ののったサバをまず塩で漬け、ぬかや唐辛子などを加えてさらに漬ける。春がきて、続く夏の暑さで発酵がぐんと進み、やがて秋、そして冬がやってくる。こうして1~2年にわたる熟成期間を経てできあがる。
「魚の漬け物って珍しいですよね。しょっぱくて旨みが強いから、お酒のあてにしてちびちびと食べています」と森枝さんもへしこには目がない様子。
「ときにはお茶漬けにしたり、アンチョビの代わりにパスタに使ったりすることも。少し身をほぐして加えるだけで、濃厚な旨みと香りを足せるところが魅力ですね」(森枝さん)
さすがは発酵食品、栄養価も高い。そもそもぬかにはビタミンB群をはじめ、各種ミネラルなどの栄養が豊富に含まれている。抗酸化力も高いとされ、サバをぬかで漬けることによって酸化を防ぎ、DHAやEPAを損なわずに長期にわたって保存できるという。近年の研究によれば、へしこに含まれる「ペプチド」には血圧を下げる効果も期待できるそうだ。
アジアにおける魚介類の発酵食品といえば、インドネシアに「トラシ」というものがある。
「“トラシ”は小エビを発酵させたペーストタイプの調味料。香りは強烈ですが、旨みも非常に濃厚なんです。現地ではナシゴレンにも使われています」(森枝さん)
森枝さんは3年前、インドネシアで民族料理をつくるイベントにシェフの一人として招かれていた。現地の人たちと山に入り、昔ながらの方法で食材をとって、みんなで伝統料理をつくったという。
参加者と(写真提供:森枝幹)
現地の食材でつくった伝統料理(写真提供:森枝幹)
「面白かったですよ! ドリアの花を漬けたお酒、インドネシアのハーブで煮込んだ魚など、見たこともない食材がいっぱい。むこうでは樹木の芯を料理に使ったりもするんです。普段は味わえないインドネシア料理を堪能できた貴重な機会でしたね」(森枝さん)
そんな旅の食の記憶は、現地の屋台へと続く。昼にナシゴレンを食べたときに「あれっ!?」。日本のものとはまるで別ものだったんだとか。
「予想外の甘さだったんです。インドネシアの人たちって甘い食事が好きなんですよね。もちろんこれはこれで現地の味としておいしいけど、もし日本に向けてプロデュースするとしたら、どうアレンジしようかな? トラシを日本の発酵食品に換えて旨みを保ちつつ、甘みを押さえれば、もっとおいしくできそうな気がするぞ、と思ったのを覚えています」(森枝さん)
3年の歳月を経て、そんな思いが形になった。それが今回のレシピだ。ナシゴレン特有のユニークな食べ方とエキゾチックな空気はそのまま、現地のトラシの代わりに日本のへしこを使って、発酵食品がもつ濃厚な旨みを再現。甘さは控えめに、より繊細で、かつ奥行きのある一皿に仕上げた。そんな森枝流ナシゴレンに、さっそく挑戦してみよう。
まずは、へしこの解体から。一匹まるまる買った場合は、頭と身を切り離し、使う分量のへしこを切りとる。残りはキッチンばさみなどで大まかに切り分け、保存容器に入れて冷蔵庫にしまっておけば長期保存が可能だ。
「ぬかがついているタイプのへしこなら、ぜひぬかごと使ってください。深みのあるコクが出ます。ちなみに、へしこがないときはアンチョビを。あるいは発酵エキスに漬けてつくった干物なら同じような旨みが出ると思います」(森枝さん)
今回使う分量のへしこを、オーブントースターや魚焼きグリルなどで5分ほど炙る。熱すると骨がはずれやすくなるのだ。
骨を取ったへしこを、ニンニク、青唐辛子、万能ネギ、ゆず胡椒とともにブレンダーに入れ、滑らかなペースト状になるまで攪拌する。
現地では「サンバル」という辛味調味料を使うが、今回は、手に入りやすい青唐辛子をサンバル代わりに使う。青唐辛子がなければ、ゆず胡椒だけでもOK。
「このへしこの発酵ペーストは旨みの宝庫! 醤油の代わりに使うと、一気にワンランク上の味になります。ちょっと多めにつくっておけば、ナシゴレンだけでなく、たとえばパスタや鍋、豆腐に添えるだけなど、どんな料理にも活用できます。冷凍保存も可能ですよ」(森枝さん)
次に甘い醤油ダレをつくろう。こちらは、濃口醤油・砂糖・味噌を混ぜあわせるだけだ。
材料の下ごしらえでは、鶏肉・キャベツを食べやすい一口サイズに切り、青唐辛子を輪切りにする。むきエビは、片栗粉や塩で揉み洗いしておこう。
ここからはスピード勝負! 中華鍋を熱してサラダ油を入れたら、鶏肉とエビを手早く炒める。
「強火で一気に火を通すのがおいしさのコツ。今回は中華鍋を使っていますが、もちろんフライパンでもできますよ」(森枝さん)
だいたい火が通ったら、キャベツを加えてさらに炒める。続いて、塩・胡椒・青唐辛子と最初につくったへしこペーストを入れる。
最後に、炊いたご飯を入れて、醤油ダレをまわしかける。汁気をざっと飛ばしたらライス部分の完成だ。
ちなみに、お米を炊くときにちょっと一工夫を加えておくと、クオリティがぐんと上がる。
「インドネシアでは通常、細長くてパラパラとした、粘り気の少ないインディカ米が使われています。これを私たちが普段食べているジャポニカ米で再現するときは、水分は少なめにして、サラダ油を加えてから炊くといいですよ。今回は米2合に対して大さじ1のサラダ油を加えました」(森枝さん)
さあ、ライスができたら完成まではあと一歩。揚げ焼きの目玉焼きをつくろう。
フライパンを傾け、サラダ油をたっぷりと注いで熱する。別の器に割っておいた生卵をそっと油の中に入れて、じゅわわっ。スプーンで油をかけつつ、揚げ焼きにする。
「表面がカリカリになるので、普通の目玉焼きでは出せない楽しい食感になります。ただ、油が跳ねやすいので注意してくださいね」(森枝さん)
最後に、大きな平皿にライスを盛り付け、揚げ焼きの目玉焼き、みずみずしいキュウリとトマトを添えれば……。
「お待ちどうさま。『インドネシア風 ナシゴレン』の完成です!」(森枝さん)
インドネシアのパワフルな喧騒が聞こえてきそうな鮮やかなナシゴレン。熱々の一皿を前にした森枝さん、ライスを湯気ごとすくってパクリ。「うん、へしこ入りの発酵ペーストがいい仕事をしています!」と会心の笑み。
「ナシゴレンって、いわば材料とごはんと調味料を炒めるだけのチャーハンなのですが、このペーストが入るだけで断然複雑で奥深い味わいに変わります。このペーストさえ冷凍しておけば、チャーハンのレパートリーが一つ増えますよね」(森枝さん)
揚げ焼きにしてカリカリと香ばしさを増した目玉焼きにスプーンを入れると、トロリ。鮮やかな黄身があふれだす。
「揚げ焼きの目玉焼きとサラダがワンプレートになっている点もナシゴレンの魅力。塩気のあるライス、シャキシャキの生野菜、カリカリのこってりとした卵…。甘さ、しょっぱさ、酸っぱさ、辛さが全部ふくまれていて刺激的。いくら食べても飽きません。アジアらしい起伏があって楽しいメニューだと思いますね!」(森枝さん)
このナシゴレンは、冷蔵庫のあまった具材をどんどん入れても大丈夫。旨みたっぷりのへしこの発酵ペーストが、どんな食材も受け止めてくれる。大人も子どもも夢中でかきこむ森枝さんのナシゴレン、ぜひご自宅でお試しを。