
日本の地域に息づく伝統的な発酵と、発酵と共に生きる人々の暮らし。それは日本が誇る食文化のひとつです。そんな“発酵”を探し求める旅へ。読めば、地域と発酵がもっと好きになる。
今回は、四国に伝わる日本三大発酵茶を訪ねる旅へ。全3回に渡ってお届けする2回目は、一時は絶滅危惧にまで陥った「石鎚黒茶」を訪ねて愛媛へ……

愛媛県には「石鎚黒茶」という、古くから伝わる大変珍しいお茶がある。石鎚山の麓、石鎚地区だけでつくられる、希少な幻のお茶である。前回、訪ねた高知の碁石茶と同じく、2段階の発酵を経てつくられる後発酵茶だが、そのつくり方も味わいも碁石茶と似ているようで異なっている。西条市にある石鎚黒茶の製造現場を訪ねた。
四国山地西部に位置する石鎚山は、標高1,982mで西日本最高峰であり、日本七霊山のひとつ。古くから修験道の山として知られている。その麓にある西条市は、自然豊かで水のきれいな地域である。石鎚山に降った雨や雪が、長い年月をかけ天然の濾過層となった山の地層を通ってミネラルを含んだ清らかな水となり、地下に蓄えられている。街のあちこちには「うちぬき」と呼ばれる自噴井(じふんせい)があり、自然に湧き出た豊富な水が人々の暮らしを支えている。環境省の名水100選にも選ばれ、西条市は「水の都」ともいわれている。

水の豊富な西条市は農業も盛んで、あたり一面のどかな緑の田園風景がどこまでも広がっている。その一角に、石鎚黒茶の製造場があった。朝到着してみると、もう作業は進んでおり、蒸した茶葉が既に網に広げられ、天日干しのために運ばれているところだった。みなさんテキパキと手際がいい。

「今の主力のメンバーは10人くらいですが、ある程度指導もできる心強いメンバーです。最近は発酵ブームもあって、首都圏からも手伝いに来てくださる方が多くなりましたよ」と話すのは、石鎚黒茶の製造、販売を担う〈石鎚黒茶さつき会〉の戸田久美さん。

石鎚黒茶は2段階発酵を経てつくられる、世界的にも大変珍しい製法のお茶であるが、その起源は今のところよくわかっていない。四国の発酵茶の製法は、7〜8世紀に遣唐使によってもたらされ、修験道行者が技法を伝えたといわれるが、何か記録が残っているわけではない。江戸時代に、松山に黒茶を扱う店があったらしいという記述が僅かな証として残っている。
山間地域では黒茶は重要な換金作物であり、大正時代頃まで盛んに生産されていたらしい。しかし、第一次世界大戦で木材が高騰したことで茶畑が次第に潰され、林業に変わって行った。また紙幣の原料であるミツマタが重要視され、山間部で育てやすいことやより高い現金収入を得られるため、ミツマタに切り替える農家も増えていった。昭和に入って緑茶の台頭により、黒茶離れも進んだ。次第に生産者が減り、一時期は1軒にまでなってしまった。
黒茶は換金作物でありながら、昔から地元でも愛飲されていたようだ。昭和初期頃まで農家の主食は大麦やトウモロコシで、ぼそぼそしたご飯はお茶と一緒でないと食べにくかったのだ。家庭では常にお茶を沸かしたやかんがあり、日々の食事に欠かせないものだった。四国を訪ねるお遍路さんへの接待にも使われていた。また、浜の漁師や山で働く労働者などから、黒茶を飲むと力が出る、などと言われて重宝された話が残っているそうだ。
石鎚黒茶は高知の碁石茶と同様、2段階の発酵を経てつくられるが、つくり方は少し異なる。戸田さんの息子である貴浩さんの案内で茶畑を訪問した。自然あふれる山道を進み、ずっと眺めていたくなるような透明感の美しい川を渡り、緑深い森の奥へどんどん歩いていくと、山の斜面にのびのびと自由に育ったワイルドな様相の茶畑が現れた。静岡などにあるいわゆる整備された茶畑をイメージすると、まったく違うので驚く。

茶葉は区画ごとに3年周期で収穫するそうで、夏の青々と丈夫な葉を枝ごと刈り取る。「茶摘みというより伐採ですね」と笑う貴浩さん。新芽よりもぐんぐん育った硬い茶葉の方が発酵茶には向いている。夏は暑いので朝6時くらいから収穫して朝8時頃には終わらせるそうだ。
収穫した茶葉は作業場に運び、丁寧に洗浄してゴミなどを取り除き、大きなアルミ鍋のような蒸し器で1時間程しっかり蒸す。蒸した茶葉は細長い木箱に通気性を持たせながら詰める。木箱はみんなが持ち運びしやすいようサイズなどを考案し、地元の高校生たちにつくってもらったそうだ。茶葉を詰め終わったら、標高200m程の山のなかの発酵所に運ぶ。元は林業の倉庫だったというその建物は、近くに川が流れ、自然のなかの気持ちいい場所だった。

「周りに畑などがなく、川から風が吹いてきて、霧が出やすい環境です。昼夜に寒暖差もある。山のあちこちの箇所で試してみたんですけど、この場所が一番いいみたい」と戸田さん。4、5日から1週間ほど、好機発酵(1次発酵)させてカビ付けをする。
1次発酵が終わった茶葉は広い台の上に広げられ、枝やゴミを取り除き、洗濯板などを使ってよく揉む。数人のスタッフが集まって、ときにおしゃべりしながら和やかな雰囲気で作業が行われている。

おにぎりを握るような感じで、葉っぱの形は残るように絶妙な手加減で揉むのがコツ、と作業するスタッフのひとりが教えてくれた。揉むことで葉の繊維が壊れ、次の2次発酵がしやすくなる。茶葉には白い糸状菌がところどころに付き、発酵の熱でまだほんのり温かい。

揉む作業が終わると、今度はできるだけ空気が入らないように体重をかけてギュッと強く押し込みながら桶に詰め込んでいく。漬物をつくるようなイメージだ。一番上に漬物蓋を置き、その上に茶葉と同量くらいの重さの重石を乗せる。空気を嫌う乳酸菌による嫌気発酵(2次発酵)が行われる。漬け込み期間は約2週間から1か月。

2度の発酵が終わると、山から麓の作業場に運び、茶葉を網に広げて天日干しする。乳酸発酵した茶葉は、梅シソのような、酸っぱさと旨みが混じったような匂いがした。表面が乾いたら裏返すなどし、2〜4日間干して、光沢のある黒い色になったら完成だ。

取材時は夏だったので、熱湯で淹れた後冷蔵庫で冷やしたという黒茶を現地で飲ませてもらったが、やわらかい酸味のなかに甘い蜜のようなコクがある、少し中国茶を思わせる味わいで、夏の暑い日差しのなかで体にじわっと染み込み、疲れが癒される感覚があった。西条の水で淹れていることも、よりおいしさが増した要因かもしれない。
「昔の黒茶は正直おいしくなかったのよね。初めて飲んだときは酸味がえぐかった。でも何年もつくっていくうちに改良されて、だんだんおいしくなっていったんです」(戸田さん)
今は若者に好評で、高校生にも人気があるそうだ。また黒茶は熟成するとさらにおいしくなっていくという。〈石鎚黒茶さつき会〉では、3年寝かせた熟成茶も販売している。

「実は5年、10年と寝かせると、もっとびっくりするくらい甘くまろやかになるんですよ。熟成すると味わいが深まる、中国の黒茶と似ているかもしれませんね」(戸田さん)
1990年代、石鎚黒茶のたった一人の生産者が高齢になり、存続の危機となったとき、引き継いだのが地元の生活研究グループ〈さつき会〉だった。農家の主婦たちが集まって地域を盛り上げる〈さつき会〉には戸田さんの母親も所属しており、そのグループ活動として石鎚黒茶をつくり始めた。
最後の生産者だった曽我部正喜さんから製法を学び、最初の頃は失敗も多かったそうだが、試作を重ねてだんだんと技術が向上していった。当時のメンバーの平均年齢は65歳。それから15年が経ち、石鎚黒茶の品質は上がり、メディアでも多く取り上げられるようになってきたが、高齢化によりメンバーがだんだん減り、最後に残ったのが戸田さんの母親だった。そこで娘にバトンが渡されることになったのだ。

「昔から普通に飲んでいたので、お茶ってこれが当たり前だと思っていました。そんなに希少なもので、大変な作業だということもあまりピンときてなかったです。大学の先生や、いろんな研究者さんが関わるようになって、すごいお茶に携わっているんだなと改めて知るようになりました」(戸田さん)
石鎚黒茶の製造技術は令和5(2023)年3月に国の重要無形民族文化財に指定されている。
これは絶対に継承していかなければ、と考えた戸田さんは、HPやパッケージデザインを新しくし、きちんと販売できるよう体制を整えようとしたが、度々ピンチが訪れた。営利目的だと今まで貸してもらっていた行政の施設が使えず、新しい作業場を探すのに苦労した。さらに今まで使っていた茶畑を持ち主が売ってしまい、別の茶畑を探さなければならなかった。心が折れ、もう辞めようか、とみんなで話し合ったこともあったという。

「みんなと本音で語り合って、やっぱり頑張ってみよう、という結論になりました。みんな、自分たちの代で終わらせたくなかったんだと思います。メンバーの人の良さにも助けられました。世界でも稀に見る非常に珍しいお茶であり、文化財になるほど特殊なつくり方をしていて、それに携わっている自分たちは本当にすごいことだと思うんです。それなら前向きに夢を描いて叶えるように頑張ろうって。たくさん売れたら温泉旅行に行きたいね、とかささやかな話ですけど」(戸田さん)
石鎚黒茶に関わったことで、今まで出会ったことのないたくさんの人たちとつながりができたことも大きな希望になった。首都圏でイベントやシンポジウムを行えば、応援してくれる人の輪がどんどん広がり、収穫期には体験や手伝いに来てくれる人が増えた。2025年は大阪・関西万博に出展し、大きなチャレンジだったが、全国各地に多くの知り合いができた。
戸田さんは今後、石鎚黒茶を楽しみに西条まで来てくれる人たちのために、ゲストハウスをつくりたいと計画している。「遠くからせっかく来てくれるので、ここでゆっくり寛いでもらいたい。場所はもう狙っているところがあるんですよ」

そして次の世代へバトンを渡す準備も進めている。戸田さんの息子の貴浩さんが加わり、SNSでの発信やメディア対応など、心強い右腕となって活躍している。新商品の開発も進めており、例えば発酵時に抽出される液体の効能を研究し、美容液として活用することや、今は廃棄されてしまう枝を焙煎してほうじ茶にする(試飲したら結構おいしかったらしい)など、アイデアを形にするべく奮闘している。
「昔、石鎚黒茶を初めて飲んだときは、正直酸っぱすぎておいしくないと思ったんですが、今は改良されて、万博でも好評でした。おいしいということは一番大事だと思います。また石鎚黒茶はカフェインが普通のお茶よりだいぶ少ないので、小さな子どもや妊婦さんでも安心して飲めます。乳酸菌の体にいい効能なども研究されており、おいしさと健康効果の両方に着目して、これからもいい新商品を開発できたらと思っています」と貴浩さん。
つくり手の思いが詰まった、希少な手づくりのお茶は、まだまだ新たな可能性を秘めている。石鎚黒茶のこれからの広がりに今後も注目していきたい。