雄大な阿蘇の地が育んだミルクで、他にはないチーズづくりに挑戦〈阿部牧場〉

幾度もの災害を残り超え、阿蘇を元気にするプロジェクト。

日本の地域に息づく伝統的な発酵と、発酵と共に生きる人々の暮らし。それは日本が誇る食文化のひとつです。そんな“発酵”を探し求める旅へ。読めば、地域と発酵がもっと好きになる。

今回は、酪農大国、熊本へ。

見渡す限りの草原が広がる、熊本県阿蘇。水と緑に恵まれたこの地の一角に、〈阿部牧場〉はある。牧場に到着すると、牛たちが山盛りの草を食べていた。「餌は牛たちがいつでも好きなだけ食べられるようにしています。贅沢な飼い方だって言われますよ」と話すのは、〈阿部牧場〉の代表、阿部寛樹さん。ここでは自分たちで牧草栽培も賄っている。本来、温暖な気候の九州で牧草を育てることは難しいのだが、阿蘇の気候と環境、そして牛たちの堆肥によって土壌が肥沃になり、牧草が育つそうだ。

「発酵という意味では、この牧草もそうですね。乳酸発酵してお漬物のような状態にしています。牛たちに餌として出すときは、乾燥した牧草と合わせて数種類をブレンドし、牛の成長や健康状態によって配合を変えています。自分たちは、おいしいミルクをつくるよりも、健康な牛を育てるための努力をしよう、といつも話しています。阿蘇で育ったおいしい草をたっぷり食べさせることで、胃腸の調子が良くなり、牛舎の匂いもなくなるし、ミルクの味も変わります」と阿部さん。

〈阿部牧場〉の牛たちは、みんなのびのびと暮らしている。常に牧草が豊富にあり、いつでも餌にアクセスできる環境は、視察に来た酪農家も驚き、羨ましがられるそうだ。「自分たちがもし牛に生まれ変わったら、この牧場に生まれて良かったね、と思えるように管理しています」と阿部さんは笑う。

牧場の裏には、白いシートを被った大きな牧草のロールがたくさん並んでいる。

〈阿部牧場〉の代表、阿部寛樹さん。

世界が認める、ミルクとのむヨーグルト

〈阿部牧場〉が自社ブランドとして販売している〈ASO MILK〉と〈のむヨーグルト〉は、世界的に権威のある〈国際味覚審査機構〉(iTQi)の食品コンクールで、最高ランクの三ツ星をダブル受賞している。しかも〈ASO MILK〉は、世界的なデザインコンクール〈Pentawards2011〉で、最高賞を受賞。世界が認める、おいしさとデザイン。それが〈阿部牧場〉のミルクとのむヨーグルトなのだ。

〈のむヨーグルト〉は、ミルクと洗双糖でつくり、混ぜもののない本物の味にこだわっている。通常は1日でできてしまうヨーグルトを急冷、攪拌(かくはん)し、さらにもう一晩眠らせることで菌が落ち着き、まろやかさが倍増するそうだ。実際に飲んでみると、ミルク本来の風味やコクを感じながらも、透明感のあるすっきりした味わいに驚かされる。

〈ASO MILK〉の瓶にある赤いラインは、飲み終わるとクロスになる。「飲んでくれた人の心と体にプラスになって欲しい」という阿部さんの想いとアイデアが光るデザイン。

阿蘇にある道の駅などでは、〈阿部牧場〉のソフトクリームが楽しめる。

幾度もの災害を乗り越えて、阿蘇を元気にしたい

2019年6月より、阿部さんは〈阿蘇イタリアンチーズ・プロジェクト〉を立ち上げている。自身も大好きなチーズづくりの構想は、数年前から阿部さんのなかであったが、プロジェクトの真の目的は別にあった。

阿蘇は国内外でも有数の観光地である一方で、人口流出が続いている。9年前の九州北部豪雨災害では牧場の近くでも土砂崩れが起き、その後、熊本地震が起こった。災害で若者はますます出て行き、災害時の対応も人手不足になるという悪循環。阿蘇は世界中から人が訪れるほど魅力的な場所なのに、労働の中枢になる世代が阿蘇から離れてしまっている。

そんな地域が抱える問題を目の当たりにした阿部さんは、地域の魅力をしっかり発信し、阿蘇に住みたい、残りたいという人を増やしたいという気持ちで活動を始めた。その取り組みのひとつが、「世界に誇れるようなおいしいチーズをつくること」、〈阿蘇イタリアンチーズ・プロジェクト〉だった。

「イタリアのチーズと決めたのは、その歴史が深く、イタリア人の普段の暮らしには、チーズが溶け込んでいると感じていたからです。実際にイタリアへ行ってみると、食卓にはさまざまなチーズ料理が並び、地産地消の実践、農業や食を大切にする考え方があって、感銘を受けました」

阿蘇も農業が中心のまちである。自分たちは酪農家で、周囲には畜産農家や米農家、こだわりの野菜農家などの仲間もいる。阿蘇という土地に、イタリアにある小さな農村のイメージを重ね合わせ、それぞれの役割を担って共に活動すれば、資源や経済が回って豊かな食文化のある暮らしが実現する。そして、観光客にも住む人にも、阿蘇の本当の魅力が伝わるのではないかと阿部さんは考えた。

「若い人にも参加してもらって、地域の仲間たちとできることの範囲を広げていきたいと考えています」

試作中のチーズたち。

目指すのは、世界一のチーズ

2019年、日本は〈EU〉と〈EPA〉(経済連携協定)を結んだことにより、欧州の大手企業から安いチーズが国内へ輸入される現状もあるが、自分たちの戦う場はそこではない、と阿部さんは自信をみせる。

「欧州の人が日本に来て、うちのミルクを飲むとみなさんおいしいと言ってびっくりされるんです。チーズの味はまだ欧州に追いついていませんが、土台となるミルクは十分の品質であるとわかりました。だから、技術を習得し、磨いていけば、すごいチーズがつくれるんじゃないかと希望を持っています」

チーズづくりの技術を習得するために、スタッフの井上千恵美さんをイタリアへ3か月派遣した。ミラノから車で1時間くらいの小さなまち〈Pontirolo Nuovo〉(ポンティローロ・ヌオーヴォ)にある〈Invernizzi〉は、世界的な賞を何度も受賞しているチーズ工房だ。

イタリアでチーズをつくってみたい、という軽い気持ちで立候補し、イタリア語も話せなかった井上さんだが、ミルク製造の基礎は心得ていたことと持ち前のコミュニケーション能力で、技術を身につけていった。

「現地では手取り足取り教えてくれたわけではなく、作業員のひとりとして毎日やるべきことを淡々と手伝っていただけです。でも帰国後、チーズをつくってみたら、体が覚えていると感じました。機材が大きく、男だらけの力仕事で筋肉も鍛えられました。毎日のごはんはとにかくおいしくて、チーズの使い方も多彩。チーズ文化を丸ごと学べて、とても勉強になりました」と井上さん。

「イタリアで食べたブルーチーズのおいしさに感動した」と語る、スタッフの井上千恵美さん。

最初の試作段階で、かなり高品質なチーズができ、これはいける! と阿部さんは手応えを感じたそうだ。

「まだ合格点は出していないし、試食会では厳しいことも言っていますが、大いに期待できる感触があります。〈ワールド・チーズ・アワード〉という大会があるのですが、目指すなら世界一のチーズをつくりたい。地域に誇れるものをつくることで、この土地の魅力が増し、酪農や農業に興味を持って、この地で働きたいと思ってもらえる人も増える。そういう取り組みをどんどんやっていきたいです」

そして阿部さんがいつかやりたいのは、阿蘇で採取した菌を培養してチーズをつくること。

「これは夢ですが、チーズに向いている菌が地元で採れたらいいなと思っています。ここの牛たちは阿蘇の草原で育った牧草を食べ、山の水を飲み、そのおかげでおいしいミルクができている。あれだけの広大な緑の草原は世界的にも稀で、唯一無二のもの。自分たちは阿蘇という大地に生かされている企業だと心に留めて活動していきます」

2020年2月22、23日(土・日)には〈全国発酵食品サミットinくまもと〉が〈グランメッセ熊本〉で行われる。発酵文化のすばらしさを全国に向けて情報発信し、地域活性化を図るイベントで、〈阿部牧場〉も出展を予定している。発酵学者・小泉武夫氏と料理研究家・コウケンテツ氏の講演や、発酵に関する各種セミナー、そして発酵食品の展示・販売も盛りだくさん。熊本には全国でも珍しい〈味噌天神〉という味噌の神様を祀る神社もあるので、これを機に熊本の発酵食文化をもっと掘り下げてみるのもおもしろそうだ。

information

阿部牧場

address:熊本県阿蘇市三久保47-1
tel:0967-32-0565
web:http://www.aso.ne.jp/abe-farm/